根津神社
歴史
1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
行ってみた
ツツジの名所として300年以上の歴史をもつ根津神社。ちょうどこの時期は約100種類3,000株のつつじが咲き誇るとか。毎年恒例のつつじまつりは新型コロナ感染拡大防止策として中止になったそうです。
鳥居と手水舎
東京・上野からほど近い下町の根津。東京メトロ千代田線の根津駅より徒歩5分程度で色鮮やかな鳥居が現れます。手水舎で心身を清めます。
拝殿
ご拝殿は5代将軍 綱吉が神社の大造営を行った際に建てられたものです。総漆塗りの権現造建築で、江戸の神社建築としては最大の規模を誇ります。権現造とは日本における建築様式の1つで、本殿と拝殿が一体化されているのが大きな特徴です。
御朱印
乙女稲荷神社
広い境内には、2つの稲荷神社が存在します。そのひとつが、乙女稲荷。稲荷神である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)は、古くから女神と考えられている神様です。
連なる鳥居
見どころは京都の伏見稲荷大社を思わせる無数の「千本鳥居」です。整然と立ち並ぶ美しい朱色の鳥居が、参拝者を出迎えます。
現在は縁結びの神として、女性の参拝客に人気のスポットです。
拝殿
鳥居を抜けると拝殿があります。根津神社の中では高い場所に位置しているので、境内を見渡せる眺めの良い場所です。
さいごに
懐かしい写真を取り出して、その時のことを思い出しながらの編集でした。またお参りに訪れたいですね。そして、文豪が愛した街 と言われる「谷根千」を、ゆっくり歩いて下町の魅力を感じてみたいです。
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